これまで企業のAI活用では、現実の業務をいかに正確にAIへ伝えるかが重要な課題とされてきた。社内に散在するデータを統合し、用語の意味をそろえ、業務プロセスを可視化し、暗黙知を言語化する。オントロジー、セマンティックレイヤー、ナレッジグラフ、プロセスマイニング、デジタルツインといった技術も、その延長線上にある。

その前提には、「会社という複雑な現実が先に存在し、AIはそれを理解して支援する」という構図がある。

しかし、AIが主要な知的実行主体になりつつある現在、この前提自体を見直す必要がある。顧客の行動や市場環境、契約、法令、物理的な資産などは、会社が自由に変更できない外部現実である。一方、会社内部の業務プロセスは自然現象ではない。過去の人間の認知能力、組織構造、情報伝達手段、既存システムの制約に合わせて作られた、変更可能な実装にすぎない。

それにもかかわらず、現在の業務を精緻に写し取り、AIに理解させ続けることは本当に合理的なのか。AIの方が分析、判断、計画、情報処理において高い能力を持つなら、古い実装をAI向けに翻訳するよりも、AIが直接運営しやすい業務構造へ会社の側を変える方が、長期的には効率的である。

現行業務は「現実」ではなく「実装」である

企業内部では、さまざまな業務があたかも動かし難い現実であるかのように扱われている。

営業担当者が案件情報をExcelへ入力し、上司が内容を確認し、企画部門が集計し、会議資料へ転記し、会議で承認を得た後に別のシステムへ登録する。こうした流れは、長年の運用を通じて組織に定着しているため、業務そのものに見える。

しかし、本来達成したい目的は、Excelを作ることでも、会議を開くことでも、部門間で情報を受け渡すことでもない。必要なのは、案件の状態を正しく把握し、一定の基準に基づいて判断し、必要な責任を明確にしたうえで、次の行動を実行することである。

現在の手順は、その目的を人間中心の組織で達成するために採用された一つの方法にすぎない。

人間は大量の案件を常時監視できないため、定期会議を設ける。情報を完全には共有できないため、報告書を作る。担当者間の認識が一致しないため、確認と承認を重ねる。システム同士が接続されていないため、人間が転記する。判断基準をコード化できなかったため、経験者へ相談する。

これらは目的ではなく、過去の制約に対する回避策である。

AIが大量の情報を継続的に処理し、必要な情報を検索し、状況に応じて判断し、システムを横断して実行できるようになれば、そうした回避策の多くは存在理由を失う。にもかかわらず、現在の手順を前提としてAIを導入すれば、AIは過去の人間の制約を模倣することになる。

それは、AIを活用しているように見えて、実際にはAIへ組織の技術的負債を引き受けさせている状態である。

高精細なデジタルツインが、古い会社を固定化する

現行業務をAIへ理解させるには、大きなコストがかかる。

部署ごとに異なる用語を統一し、帳票やデータベースの関係を整理し、暗黙の判断基準を抽出し、例外的な処理を記述する。さらにAIが判断を出した後も、その結果を既存組織が実行できる形に戻さなければならない。資料を作り、担当者へ説明し、承認を取得し、既存システムへ入力し、関係部門と調整する。

ここでは二重の翻訳が発生している。

一つは、現在の会社をAIが理解できる形式へ変換する翻訳である。もう一つは、AIの判断を現在の会社が実行できる形式へ戻す翻訳である。

モデルの能力が低かった時代には、この翻訳コストを払ってでも、AIを既存業務の一部に組み込む価値があった。しかし、AIの分析や判断そのものが急速に高速化・低コスト化すると、相対的に大きくなるのは、前後に残された組織側の変換コストである。

その結果、全体の性能はAIの能力ではなく、AIの前後にある旧式な業務プロセスによって制約される。

この状況で現行業務の高精細なデジタルツインを作ることは、必ずしも前進ではない。現在の組織構造、帳票、承認経路、例外処理を精密にモデル化するほど、過去の制約をデジタル空間に固定化する危険がある。

精度の高いモデルが、優れた業務モデルであるとは限らない。非効率な現実を正確に再現すれば、得られるのは高精細な非効率である。

必要なのは、現行業務の完全な複製ではない。AIネイティブなTarget Operating Modelを、実行可能な形で定義することである。

AIネイティブなTarget Operating Model

AIネイティブな業務設計は、現在の手順から出発しない。

まず、人間が事業の目的、価値基準、守るべき制約、許容できるリスク、最終的な責任主体を定義する。そのうえで、その条件を満たすために必要な情報、判断、状態遷移、実行手段だけを組み直す。

重要なのは、「現在、誰がどの帳票を作り、どの部門へ渡しているか」ではない。

定義すべきなのは、顧客とは何か、契約とは何か、案件はどのような状態を取り得るか、何をもって処理完了とするか、誰がどの権限を持つか、どの証拠を保存するか、どの条件では処理を停止するか、といった事業上の基本構造である。

つまり、AIとシステムが事業を直接運営するために必要な、最小限かつ正規化された事業概念を定義する。

例えば、従来の業務モデルでは、次のような手順が記述される。

営業担当者が申請書を作成し、課長が承認し、審査部門へメールで送付する。

これをAIネイティブに表現するなら、必要なのは手順そのものではない。

申請に必要な情報がそろっていること。 審査基準を満たしていること。 一定のリスクを超える場合は権限者が判断すること。 判断に利用した情報と根拠が記録されること。

前者は、現在の組織における具体的な実施方法を記述している。後者は、業務として満たすべき条件を記述している。

AIネイティブなTarget Operating Modelでは、「誰が、どの順番で、何を受け渡すか」という手続き中心の設計から、「何が成立していなければならないか」という状態・制約中心の設計へ移る。

処理方法は、目的、状態、制約に応じてAIが選択する。システムは、権限、禁止事項、監査証跡、不可逆な操作を制御する。人間は、目的と責任を定義し、重大な例外や価値判断を引き受ける。

ここで目指しているのは、AIが独自に考えた理想へ会社を従わせることではない。

人間が定義した目的と制約に対して、AIが最も高性能に働ける会社へ再設計する。

AIは目的を正当化する主体ではない。利益、安全性、公平性、顧客価値、社会的責任のどれを重視するかは、人間と組織が決めなければならない。一方、その目的を達成するための情報処理、計画、実行、監視、改善については、AIを主要な実行主体として設計できる。

オントロジーは、現行組織の博物館ではない

この考え方は、オントロジーやセマンティックレイヤーを不要にするものではない。むしろ、それらの役割を明確にする。

問題は、モデル化技術そのものではなく、何をモデル化するかである。

現行組織を忠実に表現しようとすると、部署、役職、帳票、承認経路、システム固有の項目、例外的な運用まで取り込むことになる。その結果、オントロジーは現在の会社を保存するための巨大な説明書になる。

AIネイティブな設計で必要なのは、それとは異なる。

顧客、契約、商品、案件、権利、義務、状態、行為、証拠、指標、リスクといった、事業を構成する安定的な概念を定義する。さらに、それぞれの関係、識別方法、状態変化、許可される操作を明確にする。

ここでのオントロジーは、現行業務を再現するための地図ではない。AI、人間、システムが同じ事業を扱うための、共通の型定義である。

セマンティックレイヤーも同様である。過去のレポートや部署固有の集計方法をすべて保存することではなく、売上、顧客、解約、利益、案件、成果といった経営上重要な概念について、一貫した意味と計算方法を提供することに価値がある。

モデル化すべきなのは、変えられない現実と、事業を成立させるために必要な意味である。現在の組織が偶然採用している実施方法まで、正本として固定する必要はない。

AS-ISは守るべき仕様ではなく、解析するレガシーコード

では、現在の業務を調査する必要はないのか。そうではない。

現行業務には、長年の運用を通じて蓄積された重要な知識が含まれている。法的な要件、顧客との暗黙の約束、事故を防ぐための確認、過去の失敗から生まれた例外処理などは、新しい業務にも引き継ぐ必要がある。

ただし、AS-ISの位置付けを変えるべきである。

AS-ISは守るべき仕様ではなく、移行時に解析するレガシーコードである。

古いソフトウェアを刷新する際、現在のコードをそのまま新しい言語へ移植するとは限らない。まず、何を実現しているのか、なぜその処理が存在するのか、どの外部システムに依存しているのか、どこに重要な例外が埋まっているのかを解析する。

そのうえで、必要な機能だけを新しい構造へ移し、不要な処理、過去の制約による回避策、重複したロジックは廃止する。

業務変革でも同じである。

現行業務を調べる目的は、それを忠実に再現することではない。廃止してよい作業、機械化すべき作業、法的に残すべき統制、回収すべき暗黙知、接続が必要な既存システムを識別することである。

したがって、設計の順序も変わる。

現行業務を詳細に調べ、そこから改善版を作るのではない。まず、目的と制約からAIネイティブなTarget Operating Modelを設計する。その後、現行業務との差分を調べ、移行に必要な課題を特定する。

AS-ISからTO-BEを積み上げるのではなく、TO-BEを先に定め、AS-ISを移行制約として解析する。

この順序を逆にすると、現在の業務に引っ張られ、改善は局所的な自動化にとどまりやすい。現在の承認を電子化し、現在の帳票をAIに作らせ、現在の会議をAIに要約させる。効率は多少上がるが、業務構造そのものは変わらない。

AIネイティブな変革が目指すのは、古い業務を速く回すことではない。古い業務が担っていた目的を、より少ない構造で達成することである。

人間を残すのではなく、人間の責任を再配置する

AIを主要な実行主体とする場合、人間の役割も再定義される。

従来の業務では、人間は情報の収集、転記、確認、調整、進捗管理、資料作成、承認といった多数の工程に分散して配置されている。これは、人間の判断が不可欠だからというより、システムが分断され、情報が不足し、業務全体を一つの主体が把握できなかったためであることが多い。

AIが情報処理と実行を一貫して担えるなら、人間を既存フローの各所へ残す必要はない。

人間が担うべきなのは、目的の設定、価値判断、リスク許容度の決定、不可逆な意思決定、対外的な責任、例外から制度そのものを変更する判断である。

つまり、人間の役割は、AIの作業を一件ずつ確認することから、AIが動く制度を設計し、監督し、更新することへ移る。

すべての判断に人間を挟めば安全になるとは限らない。形式的な承認が増えるほど、責任は分散し、重要な判断が日常的な確認作業に埋もれることもある。必要なのは人間の介入回数を増やすことではなく、どの判断について、誰が、どの責任を負うかを明確にすることである。

会社を「AIが利用する対象」から「AIが実行できる制度」へ

AI活用の初期段階では、既存業務の一部へAIを追加する方法が現実的だった。検索を補助し、文書を作成し、分析を支援し、問い合わせへ回答する。これは、人間中心の会社にAIを参加させるアプローチである。

しかし、AIが主要な知的実行主体になるなら、次に必要なのは、会社をAIが利用する対象として整備することではない。会社そのものを、AIが実行可能な制度として再構築することである。

そのためには、現行業務の詳細な再現よりも、事業目的、制約、状態、権限、評価、証拠を明確にしなければならない。部署間の受け渡しや人間向けの帳票ではなく、エンドツーエンドで成果を生み出す単位を中心に業務を設計する必要がある。

これまで企業は、会社をAIに理解させようとしてきた。

しかし、会社内部の業務プロセスは自然現象ではない。過去の人間とシステムに合わせて作られた、一時的な実装である。

AIの方が主要な知的実行主体になるなら、その古い実装を精緻に説明し続けることが最適とは限らない。現行業務の高精細なデジタルツインを作るのではなく、人間が定めた目的と制約の下で、AIが直接判断し、実行し、改善できるTarget Operating Modelを作る。

そして、現実の会社をそのモデルへ近づける。

AI時代の業務変革とは、既存の会社へAIを導入することではない。AIが最も高性能に働けるように、会社という実装そのものを書き換えることである。